旅館つたや 幕末からの時を伝えて

 

時は幕末・元治元年七月、京都蛤御門の変が起こり、会津・桑名連合軍と戦った長州藩は、利なくして敗走した。当時三十三歳であった長州藩士・桂小五郎は、幕吏から追われ、出石住人・広戸甚助の幇助により京より但馬国出石へ逃れてきた。

しかしそこでも追捕の動きが急となるや、彼は城崎温泉の幣館(当時松本屋)に滞留することとなる。

その頃の「つたや」は女戸主で、その一人娘の「たき」は桂の境遇を覚り、落ち着いて心身を休められるように懸命に世話をしたという。

桂が但馬に潜伏している間に、幕府は第一次長州征伐を起こし長州藩を誅していた。

慶応元年四月、城崎でじっくりと後の謀を練った桂は、機は熟したと見て、長州藩再興と幕府との戦いのために、迎えに来た妻「幾松」を連れて長州へ帰った。

桂は半年の間、ここ但馬・城崎に隠れることによって難を逃れ、維新の大業を遂げることができたのである。

 

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当館には、桂の遺墨などを今も大切に保管しており、お泊りになったお客さまにご覧いただいております。
それらを眺めると、激動の時代の荒波を必死に生きた志士たちの草莽の志に触れることができます。

桂の間
潜伏当時は柱に刀傷もあったそうです
桂小五郎 遺墨 桂小五郎に関する石碑


司馬遼太郎先生は桂の取材の為、つたやにお泊りになり、「竜馬がゆく」の中の「希望」のくだりを、滞在中にお書きになり、随筆”わが城崎”の原稿をお残しになりました。(旅館内展示中)

当館所蔵の司馬遼太郎先生色紙
碑文
「往昔、当地は但馬国城崎郡湯島村といい、幾内貴顕の湯治場であった。桂小五郎、蛤御門の変ののち遁れてここに潜み、当館にて主人母娘の世話を受けたという。
司馬遼太郎 記」
桂小五郎の書を前に語り合う司馬遼太郎先生(右)と当館の先代主人(左)